cocktailism a go go

少年カクテルマシン公式blog
Ciao!

さて。


突然ではありますが、ライダーズの活動休止と歩を合わせて、というわけでは全然ないんですけど、当ブログも無期限活動休止とさせていただきます。


そのうち何事もなかったかのように再開するかも知れないし、思い出したかのようにたまーーーに書くかも知れないし、書かないかも知れない。


先のことは全然判んないわけです。




とりあえず、これまで見てくださってた方、ありがとうございました。

そして良いお年を。


チャオ!




20111231

少年カクテルマシンM



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蒸気でできたプレイグランド劇場で

moonriders、通算21作目のラストアルバム(たぶん)、

Ciao!』を、そりゃもう何回も何回も聴いた。



01.who's gonna be reborn first?

02.無垢なままで

03.Mt.,Kx 

04.ハロー マーニャ小母さん

05.Pain Rain

06.折れた矢

07.Masque-Rider

08.オカシな救済

09.弱気な不良 Part-2

10.主なくとも 梅は咲く ならば(もはや何者でもない

11.ラスト・ファンファーレ 

12.蒸気でできたプレイグランド劇場で


ちなみに21作目、というナンバリングはミニアルバムや『dis-covered』などを含まない(『火の玉ボーイ』は含むが)。

これらを除いた作品が純粋なオリジナルアルバムだと考えているからだ。


かといってここで外した諸作が聴くに値しないというわけでは全然ない。

寧ろどんな盤にでもひっそりと、オリジナルアルバムには収録されていない名曲が潜んでいたりするから厄介なのだが。


以下、ディスコグラフィ。


01.火の玉ボーイ(1976125日)『鈴木慶一とムーンライダース』名義

02.MOON RIDERS1977225日)

03.Istanbul mambo19771025日)

04.NOUVELLES VAGUES19781225日)

05.MODERN MUSIC19791025日)

06.カメラ=万年筆(1980825日)

07.MANIA MANIERA19821215日)制作は1981年〜

08.青空百景(1982925日)

09.AMATEUR ACADEMY1984821日)

10.ANIMAL INDEX19851021日)

11.DON'T TRUST OVER THIRTY19861121日)

12.最後の晩餐 Christ, Who's gonna die first?1991426日)

13.A.O.R1992930日)

14.ムーンライダーズの夜(1995121日)

15.Bizarre Music For You1996124日)

16.月面讃歌(1998718日)

17.Dire Morons TRIBUNE20011212日)

18.P.W Babies Paperback2005511日)

19.MOON OVER the ROSEBUD20061025日)

20.Tokyo72009916日)

21.Ciao!20111214日)



さて。


一聴した印象で云うと、まず非常に音や声が重なり合っている。

近作はもともとそういう傾向にあったが、本作はその比ではなく。

下手すりゃ2つの異なる曲を同時に掛けているような不協和音っぷりだ。


特にこれらの新曲、初聴は輪をかけて音が混ざり合うライブだったわけで、更にわけ判んないことに。

後日、歌詞カードを見乍ら聴いて、ようやくメロの全貌が頭に入った次第。

やっぱライダーズを聴くにあたって、歌詞を聞き取る云々以前にメロを聞き取る為に歌詞カードは必須だなと。


あと鈴木慶一の歌唱がいつもより印象薄い気がする。

単にリードが少ないから、というわけじゃないと思う。

少ないと云ってもほとんどのトラックで何かしらVo.は聴こえてくるわけだし、メンバー(主に作曲者)がリードをとる曲が多い、なんてことは今に始まったことじゃないしね。


前述のように声自体が音に混ざり合ってたり、加工されていたり。

またVo.をあまり前に出さないのはライダーズの常套手段ではあるものの、今回はそれに加えて鈴木慶一の歌唱がいつもより淡白なのが原因の一端ではないかと。


とは云え、アルバムのクライマックス時にはちゃんと声が聴こえてくるので安心した。なんか大事な時ほどメインボーカルはリードをとらないことが美徳、とか考えちゃいそうだもんなあ彼等って。

いや別に全篇鈴木慶一Vo.じゃなくてもいいんですけどね。

それでもやっぱ締める処は締めて欲しいなと。



個々の曲をいちいち言及するのは今回は避ける。

まあ今更ヨイショしても仕方ないんで正直に云うけど、近作と同じく、全部の曲が好きなわけではないが好きな曲も結構ある、といった感じ。

比較的打率は高かった、と思う。


特に、岡田かしぶち曲。ハズレなし。

後者はホントここ数年調子イイよね。

90年代はどっちかってとオマケ的扱いになってたような気もするんだが。


岡田作のM.04は童謡みたいな曲調に反して、詞は一番謎だよね。

これは放射能(原発)のこと歌ってんのかなあ。

そりゃ今年作品を発表するにあたって、地震関連の事象に影響受けないわけにはいかないだろうしな。

白井作のM.07揺れているのは僕らのほうだ、とかね。


オウムの時と違って、今回はかなり抽象的な時事ネタで。

いやその方がいいと思います。原発については自分も思う処多々あるけれど、被害者意識だけではどうにもならんと思うしね。


しかし全体としてはやはり、「終わり」というのがお題となってるっぽい。

勿論明確な答えはそこにないし、そもそも『ムーンライダーズの夜』以降ライダーズは(一部の例外はあれ)常にラストアルバムをつくってる印象が自分にはあるのだけれど、今回は特に。


また、ある時期からのライダーズは「死」を考察するバンドでもあったと思うのだけど、今回に至ってはその先の「rebornM.01)」だからね最早。


ラスト曲、M12はストレートな「終わり」の曲だが、非常にポップで愛らしく、且つドライな曲調で悲壮感は薄い。湿度をなるべく排除したかったんだろうなと。そして躊躇せずあっさり終わるエンディング後の静けさにこそ本作の真髄があるのだろうと。

つーかこの曲、凄い好き。

ラストがこの曲で良かった。


ちなみに本作についてのレビューでよく見る、過去の曲を喚起させるとか、『マニエラ』みたいだとか、果ては『アビイ・ロード』みたいだとかいった感傷的な感想は特にない。強いて云えば『ホワイトアルバム』的な感覚はあるけど(そういや本作って慶一×岡田以外の共作がないんだよね。そのことも『ホワイトアルバム』感に繋がっているのかも)。


かと云って「未来に向かっている」だのと奇麗事を垂れるつもりもない。

ここにはただライダーズの「今」があるだけだ。そう思う。



そんでまあ、周知の通り活動休止の原因は未だ語られていないし、鈴木慶一もオフィシャルサイトのインタビュー以外は取材を受けていないようなのでこちらとしてはリアクションがとり辛いわけなんだけど、こんだけ黙秘されると最悪の事態を想像しちゃうんだよなあ。

メンバーの皆さん、体調は大丈夫?


でもね、誤解を恐れず云えば、ライダーズはここで終わって良かった、とも思うんだよな。

それは本作の出来がちゃんと「優れていた」からであり、また逆に云えばここら辺が限界かな、とも思ったからであり。勿論結果論なんだけど。


だんだんクオリティが落ちていって、最後には作品も未聴のままいつの間にか解散している、なんて事態は願い下げだし。

そりゃ悲しいのは悲しいんだけど、これで良かったんじゃないかなあ。



まだ『チャオ!組曲』は聴けてないし(買ったところでアナログ環境がない。配信あります・・・よね?)、それ聴かないと完全に終わったという感慨は湧かないかもだが、とにかく高校生の頃、『最後の晩餐』に打ちのめされて以来20年間、常に心の重要な拠り所だったライダーズ。


大袈裟でなく、僕に音楽の素晴らしさを教えてくれたのは、間違いなく彼等だったと思う。


ありがとう。

また会えることがあれば、その時は。



                    





そしてあの、大阪での最後の夜。


開演前からロビーや客席での演奏があり、最初から特別だったあのライブ。


予想通りクールに進行した本編を挟んで、アンコール。

気が付けば僕はステージの上にいた。


『花咲く乙女よ穴を掘れ』

Kのトランク』

Beatitude

『蒸気でできたプレイグラウンド劇場で』


他に何十人か居たステージ上のファンと共に、僕はコーラスをし、歌い、振りを踊った。あの、プレイグランド劇場で。


本来、こんなことできる人間じゃないのです。

それはやはり、ライダーズ最後の夜だったから。



お陰で最後の最後の演奏が全く客観視できなかったわけですがw

| scmm | music | 19:11 | comments(0) | trackbacks(0) | | ログピに投稿する
Bizarre Music For You
ムーンライダーズ『Bizarre Music For You』(1996


01.BEATITUDE (album take)

02.愛はただ乱調にある

03.春のナヌーク

04.君に青空をあげよう

05.Happy Life

06.ニットキャップマン外伝

07.ニットキャップマン (album take)

08.僕は負けそうだ

09.オー何テユー事ナンダロウ

10.ガールハント

11.狂犬

12.風のロボット

13.スプーン一杯のクリスマス

14.みんなはライヴァル


云わずもがなの20周年記念盤。

題して奇妙な音楽の贈り物


重く暗い前作とは打って変わり、とっつき易いポップな楽曲が並ぶ。

また個人作業の多かった前作と較べ、メンバー共作が多いのも特徴。

更に矢野顕子、高橋幸宏、野宮真貴、 直枝政太郎、松尾清憲、矢野誠、菊地成孔などなどライダーズゆかりの豪華ゲストも華を添え、記念盤らしいストレートな祝祭空間で満ちている。


製作過程においては、鈴木慶一が各メンバーにそれぞれ「あなたがかつて得意としていた、こういう曲をつくってみてはどうか」という主旨のもと、既存の洋楽が入ったテープを贈ったとのこと。


つまりメンバーの曲作りにおいてある種の制限を設けたわけだが、『DON'T TRUST OVER THIRTY』(1986)時のような「手癖」を禁止する制限とは真逆に、つい自制してしまいがちな「手癖」を推奨する方針が採られたようだ。

結果、いかにもパブリックイメージに乗っ取ったような「ライダーズらしい」楽曲群で構成されたアルバムとなった。


もとはビートニクスに用意された曲であり、実際に演奏もされていたらしいM01だが、エレキギターとヴァイオリンがアグレッシヴに絡み合う、どう考えてもライダーズ印としか云いようがない90年代の代表曲。


彼等なりの応援歌、といった処だろうか。

「カルマにまみれて」はいますけど。

ブレイクの幸宏も効果的。Nav Katzeのコーラスもキュート。そういや鈴木慶一の曲がアルバム冒頭を飾るのは『ANIMAL INDEX』(1985)以来か。

ちなみに当時、マツダファミリアのCMでかかりまくっていたのでイントロだけ知ってる人多し。


美しい旋律と久方振りのデジタルなアレンジが印象深いM02

詞は本アルバムの象徴のよう。

しかし一節目が「君のがとても好きになり」ってなにげに凄いよな。「その後ちょっと嫌いになり」ってのも凄いけど。


余談だが、メンバーも出演した某イベントにて、この曲の鈴木慶一直筆詞をオークションで競り落としたのは他ならぬ私です(大した金額じゃなかったけど)。鈴木兄弟と一緒に撮って貰った写真と共に、今でも額に入れて飾っておりますよ。


んでM03は大変良い曲だとは思うんだが、失礼な話、白井良明の歌声をまるまる1曲聴くのは正直つらかった。どうしたってこの人の声、メインにはなり得ない気がするんだよな。

ただ、「北」をモチーフとした歌詞は当時の白井が唄わないと説得力が出ず、難しい処ではある。


サエキけんぞうが詞を提供したM04は、なんとも爽やかな極上ポップ。

この時代特有の生音に近い打ち込みリズムがなんとも心地よく、真当ながら捻りも加味されたアレンジが秀逸。

普通に名曲だと思うんですけど、アクのないぶん余り触れられる機会もないという、やや不遇の曲。


明るい地獄とでもいうべきM05

明と暗のパラドックス的哲学を、こんな能天気で脱力風楽曲に乗せてしまうのがライダーズの真骨頂。

少し懐かしいメロディラインが垣間見れるのは「昭和に届いた」贈り物だからなのかな。

にしても詞の面でなんとかコンセプトのトータリティを出そうとする鈴木慶一の苦労が偲ばれる。


M06は後述の『ニットキャップマン』コンペから漏れた曲に、新たに詞をつけたもの。

この曲がまた最高だ。白井のラップ?もさることながら、鈴木慶一のサビに切り替わる部分の気持ち良いこと。M5にしてもそうだが、白井歌唱の配分は1曲中でこれくらいが丁度いいと思う。

はっきり云って本伝より全然好きです。

また本伝より先に外伝が来る曲順がライダーズらしいというか。


そして本伝M07

糸井重里の書いた詞に6人それぞれ曲を書き、コンペに勝ち残ったのは岡田によるこのキャンプファイヤーソングだった。

糸井の寓話的な詞はこの頃のライダーズに不似合いな気もしたんだが、まあそのギャップこそ糸井の狙いではあるんだろうし、可愛らしい旋律、アッコちゃんの歌声も伴って段々好きになっていった感じ。

そういや詞の順番を入れ替えて、本筋で「フジオさん」が死んでしまう前に、途中のコーラスで先に死を回想しているという構成が面白い。やっぱ捻らないと気が済まんのだろうね。


岩井俊二によるPV『毛ぼうし』あり。

当時たいがいのレンタルビデオ店に置いてあったよね。

ちなみにAメロ「山田川のほとりのテトラポットの」部分が『津軽海峡冬景色』の出だしとメロディラインが同じだと、友人に指摘されるまで気付きませんでした。


M08は直枝政太郎が参加していることもあり、割とストレートなロックナンバーに聴こえる。詞は自己完結気味な自虐を綴った所謂博文節だけど。

大サビ書いたのは白井良明かなあ。これがあるとないとではだいぶ印象違うよね。


圧巻なのはM09

鈴木慶一大作シリーズ第2弾といった趣きだが、前作所収の『夜のButique』と違い、こちらの曲調は一聴楽しげ。

なんでも幾つかの未発表曲のサビだけを繋いだということで、めまぐるしく姿を変える割には全体がコンパクトにまとまってるし。


かつての「夢が見れる機械が欲しい」を書き換えた「夢が消せる機械が欲しい」というフレーズはなんとも意味深だし、「青春はなんであんなに悲惨なんだろう」も凄いが、その後の右と左で全然違う詞とメロが同時に鳴らされるという仕掛けも面白い。


そして強引に「そういうわけで、船をつくったんだ」と突然世界が収縮するという。そういうわけってどういうわけなんだ。

続いて立ち上がる締めの大サビやユニゾンコーラスも一分の隙もなく、最早名曲としか云いようがない。

詞は当時の段階における、またしても総論となっていて、この頃のライダーズは毎回ラストアルバムを創っているような気迫があった。


だけど自分にとって、本作の快進撃はここまでなんだよね。

続くM10は鈴木慶一に云わせりゃ本盤のベストトラックらしいが、正直そこまで魅力を感じない。

M11にしたって音は面白いと思うんだけど、やはりそこまで魅力を感じない。

M12は良くも悪くもいつもの武川節だし、M13はいい曲だとは思うんだけれど、アルバムの実質ラス曲としてはちょい喰い足りない。


ということで、私的に不満な曲がラスト1/3くらいに集中してしまっているという。

アルバムの構成に不満が残るなんて80年代作品以降なかったことなので、当時結構驚いてしまった記憶がある。


しかもこの傾向は今後も続いていくこととなるので、これはもう悲しいけど私とメンバーの好みがやや乖離を始めた、ということなのかも知れない。

そういやこの頃「コンセプチュアルな作品づくりはそろそろやめた方がいい」、と鈴木博文は鈴木慶一に進言したらしいが、そのことも影響している気がする。

実際鈴木博文は本作あたりから「脱退を考えなくなった」というし。

つーか今までは考えてたんかい、という。


さてそりゃそうと、M1420周年の締めを飾る企画曲。

ファンクラブで募集したファンの肉声による激励がコラージュして使われている。

この甘さが本作のコンセプトを物語っているわけだが、そこに「お金のため働くのが精一杯」とか、ほとんど愚痴のような歌がかぶさる(しかも野宮真貴とのデュエットで!)という、なんともライダーズ的終幕。


ちなみにアルバムの最後の最後で細野晴臣御大が『はらいそ』のセルフパロディ演ってるのは有名だろうけど、歌詞カードには細野晴臣のクレジットの直前に記載された、“4BARS MANIFESTO”ってのがあって。


RYOMEI SHIRAI[木遣くずし(白井ふかがわん ゔぉいす源三)]とか

KEIICHI SUZUKI[世界中の地雷よ 核融合よ]とか


メンバー分、記されてるんだよね。

これは一体なんなんだろう、とずっと考えているのです。


あと全然関係ないけど、こん時のライブの日、ミナミを歩いてたら普通に前から腕を組んだ白井夫妻が歩いて来て、思わずきったねえ手帳にサイン貰ったことを想い出した。

今日新曲演るよ、と気さくに話してくれたことも懐かしい。




※過去作のレビューは以上です。長々と失礼しました。

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ムーンライダーズの夜
ムーンライダーズ『ムーンライダーズの夜』(1995



01.PRELUDE TO HIJACKER

02.帰還〜ただいま〜

03.HAPPY/BLUE'95 Album Ver.

04.Instant Shangri-La

05.まぼろしの街角

06.永遠のEntrance

07.渋谷狩猟日記

08.ただ ぼくがいる

09.最後の木の実

10.夜のButique

11.黒いシェパード

12.Damn! MOONRIDERS

 

13.冷えたビールがないなんて(INFRARED RYA MIX


前作より3年の月日が流れた。

1995年。この年、「return to the moon計画」なる名のもと、『BYG High School Basement 1』『Le Cafe de la Plage』と、「回想モード」と銘打たれた2枚のカバー&セルフカバー集が立て続けに発表される。


しかし数多のライダーズレビューのように、この2枚をライダーズのオリジナルフルアルバムと同列に捉えるのはいささか無理がある。

乱暴に云ってしまえば、あくまで年末に控えたフルアルバム「夜」への前哨戦的企画物ミニアルバムに過ぎないのだから、両作とも完成度にやや難があるのは致仕方ない処。

と云ってもファンならスルーしてよい筈はなく、勿論珠玉の名曲も収められている。


特筆すべきはカバーを通して「ライダーズが回想をした」という点。

中でも『BYG』においてはメンバーが10代・20代の頃に思い入れた曲が中心となっており、その再現過程においてメンバー同士にもかつての関係性が若干再構築されたとのこと。


元来感情をストレートに顕すことを嫌う、シャイでシニカルなメンバーが多いライダーズであるが、加えて年齢を重ね年相応に譲り合ってきた意見や思想のぶつけ合いがここに来て再び始まった、と。まるで高校生のように。

演奏面でのダメ出しなどで場の空気は緊迫し、一時はスタッフがスタジオ出入禁止になるほどだったという。


やがて導きだされた結論は、鈴木慶一曰く「我々は始めからまるで違う人間だったことに気が付いた」という「バンド共同体幻想の崩壊」であった。


初期〜ニューウェーブ時代に顕著だった、イデオロギーとしての共同体が一丸となって作品を昇華させる手法はここにきて限界を迎えたということだろうか。


そして個々の違いを認識することにより、逆説的にバンドは延命する。

「方向性の違い」とはバンド解散時の常套句だが、その「違い」さえ許容してしまえばバンドが解散する原因は極めて少ない。


勿論捉えようによっては「解散の時期を逸した」とも云えるわけで、共同体幻想のないアルバムは方向性が散漫な印象になるケースも多く、良くも悪くも「老い」ゆえの現実をまざまざと見せつけたライダーズに対して、「あの時、解散していれば」と嘆くファンもいるかも知れない。


とにかくライダーズはこの時、「伝説になること」を拒否したのだ。

ミニアルバムやシングルのリリースラッシュに浮かれていた私がそれらのことに気付くのはまだ少し先のことだったが。


「ムーンライダーズの夜」、発売。

この頃にはようやく過去の音源をほぼ手中に収め、私にとって満を持してのアルバムだったことを憶えている。ファンとの交友も若干ではあるが始まっており、なにかと疎い私にも「武川さんがハイジャックされたらしい」などの情報が届くようになっていた。


そんな武川のハイジャック事件に材を得たM01M02

なるほど、コンセプト好きの鈴木慶一にはピッタリの題材だ。

なんせ物理的にはライダーズ歴代最大のピンチだったわけで、これを作品化しない手はないでしょう。


ちなみに武川はメンバー間で唯一「プレイヤー」として存在しており、どちらかと云えば「作家」として存在している他メンバーと多少立位置が異なる。

作家性の軋轢が生じがち(この頃は特に)なメンバー達にとって、ニュートラルな存在としてあった武川が拠りどころであったことは想像に難くない。

この武川生涯の危機は精神的に離れつつあったメンバーの結束を固めさせるキッカケになっただろう。


M03以降は共同体幻想の崩壊が広げた溝を埋めるかのように、精神面の乖離を肉体的に繋ぎとめるかのように、生演奏が全面に押し出されている。


このことはファンにとって(勿論メンバーにとってもだろうが)ちょっとした事件だった。ライダーズにテクノ的要素を求める傾向のファンはきっと多いことだろうと思う。

私もかつてのライダーズ楽曲を、テクノロジーによるイリュージョンのように聴いていたし、機械的な無機質ビートにより快感を覚える世代(で括れるもんでもないだろうが)でもある。

実際M03がバージョン違いのシングルとして先行発売された際、戸惑いを隠せなかった。


しかし不思議なことに本アルバムに収録された同曲には最早違和感はなかった。

まあ既に何度もシングルを聴いていたのだから当たり前っちゃ当たり前だが、アルバムバージョンで大幅に拡大された間奏部分も印象を改善する大きな要因になったようだ。

そして、


僕の考える億万時間は 君の感じてる一瞬

違いがあるよ僕等

気にすることはないよ

これが 愛


という鈴木慶一による詞のくだりも感動的だった。


そしてM04

云うまでもなくこの年サリン事件を起こしたオウム真理教にまつわる歌だ。


鈴木慶一は云う。

「オウムのことを歌にしたのは私が一番早かったと自負しております」


一方同じ頃、石野卓球は云う。

「今の時期、オウムなどの社会問題をテーマにした歌をつくるのが真摯なミュージシャンってことなんだろうけど、オレらはそういうことに一切興味ない(意訳)」


更に小西康陽も云う。

「音楽なんて日々のエアーシャルダンに過ぎない(超訳)」


この違いに如何なる意味があるのか。

確かに当時の先鋭的ミュージシャンで、オウムを歌にした者は私の知る限りいない。


少なくともこの頃、若いミュージシャンの間で「社会問題を歌にすることはダサい」という風潮があった筈だ。

1988年の発売時あれほど絶賛されたRCサクセション『カバーズ 』も場合によっては駄作扱いされていた。


それが良いか悪いかは置いといて、若い彼等と世代が近い私は、楽曲自体の賛否はともかく鈴木慶一の先の発言に同調しづらかったのは事実だ。

この点は今現在でも感想が変わることはない。

ただメッセージ、ひいては本音を隠してひたすら意味の無意味化を追求するスタンスは、時代の閉塞性に絶え切れずこの後ほどなく破綻していくのだが。


あと個人的にはやはりオウム事件について当時考えることも多く、また80年代的呪縛に捕われた多くの文化人がオウムを擁護していた背景で、ライダーズがその位置には既に居ないことに安堵を憶えたものだ。

そんな事情は置いといても、単に音楽として非常に好きな曲ではありますが。


で、M05回想モードの完結編。

70年前後の風景。青年期の終わり。その頃大学の同サークル仲間であった岡田、武川、白井の詞に補作詞のような形で鈴木慶一が参加している。

曲は岡田。時代背景に関しては世代的に実感することはできないが、知識だけで知っている、見たことはない懐かしい風景、という感じ。


そういや鈴木慶一は自分が作詞した「ギターの弦はBEAしか鳴らない  切れたコード」(つまり“BEAT”にはならない、と)の一節を自画自賛するも、あまり反応がないことをよく嘆いておられた(笑)

それはともかく、なんといってもこの曲は素晴らしい。ライダーズ名義では『週末の恋人』(1977)以来?となる意図的かつ物理的に声を潰した岡田のリードVo.に始まり、間奏の印象的な女性スキャット、そして不意に現れるユニゾンコーラスに鳥肌。


M06はかしぶち作のインスト。

曲はアルバム中の清涼剤のようで素晴らしいんだが、岡田のポエトリーリーディングは正直蛇足だった気もする。スキャットは妖しくて良いが。


一転してM07は白井作のヘヴィで攻撃的なナンバー。

まあ前後曲とのギャップが凄いこと。ここで彼は『Le Cafe de la Plage』で初披露したラガマフィンを再びフィーチャーしている。

鈴木慶一の激しい歌唱も忘れ難く(特に二度目の『喰っちゃいたいだろうね』部分)、とにかく痛快なナンバー。


ちなみに最初タイトルを見た時は、「とうとう渋谷系に喧嘩売る気か!」と意気込んだもんですが、よく考えたら当時渋谷は既にコギャルと援交の街だったのでした。「コギャル 孫ギャル ひ孫ギャル、街の湿地の両生類/宇田川町のどん詰まりのあぜ道 おやじの肩を揉んでいる」というフレーズが痛快。

にしても詞を担当した鈴木博文、ホント渋谷が嫌いなんだろうね。


失礼ながら、続くM08(博文)、M09(武川)は、70分強あるこの長いアルバムのインターバルと捉えております。

特にM08のような、もう自分しか見てないような鈴木博文の作風はどうも好きになれないが、M07の熱を一度冷まして、クライマックスへと橋渡しする役割として機能しているので、それも良しかと。

ただ今後この作風があんなに続くとは思わなかったんだよなあ。


ということで、ここからはクライマックス。

M10は慶一大作シリーズ第一弾。

ラップだか語りだか判らない恐ろしい導入から、次々と転調、というより全く別の曲が現れては姿を消す。

曲として昇華し切れていない実験作のようでありながら、それすらも確信犯であるかのような鬼気迫る迫力に満ちている。

詞ははっきり云ってなんのことだかよく判りませんが、それだけは確実に伝わって来るという。

「ブティック」はなんの暗喩なんだろうな。あと、この辺りから詞に「〜のような」という云い廻しが頻発しますな。


続く岡田作M11と合わせて、鈴木慶一の詞には死の匂いが立ち込めている。

この2曲、間違いなく本アルバムの核だろう。


後に実弟から「大仰・文学性が過ぎる」と批判されたりもするわけで、確かに段々曲のつくりが頭でっかちになってきた印象は否めないが、少なくともこの時点の私にとっては魅力的な世界観でありました。

特にM11の印象的な旋律と件の詞が絡んだ化学反応は筆舌に尽くし難く、ただ暗いだの重いだので切り捨てるのは思考停止というものだ。


さて、一見その暗鬱さを吹き飛ばすかのように軽快なM12だが、内実そう生易しいものでもない。

例えば、本アルバムに散見されたディープな文学性はかつてのライダーズになかったものだ。


バンド共同体幻想も終わり、メンバーも、サウンドも変化した。

変化自体は活動初期からライダーズの特徴であり宿命でもあったのだが、時代に呼応した最先端の音楽を実践する、なんて無邪気な変化としてだけでなく、ここに来てバンド存続という茨の道を選んだが故、自らの苦渋を伴って決断された変化だったように思えてならない。


それは前述の通り「伝説になること」を拒否したライダーズが獲得せざるを得なかった業のようなもので、この曲は業を背負って活動を続ける決意の意思表明と解釈している。

シニカルではあるが、煙に巻いているわけではない。

ここにあるのは「覚悟」そのものであるのだ。まあそう難しく考えずとも、単にノリの良い快作として聴けばいいんじゃないかとも思いますが。


ボーナストラックであるM13は明らかに蛇足。

曲単体では嫌いじゃないが、アルバム全体の印象を著しく混乱させている感は否めない。

シングルミックスより出来がいいとも思えないし。

地方局(名古屋だっけ)の有線チャートでなにかの拍子に上位ランクインしたのが収録を強行した(させられた?)原因かも知れない。あくまでアルバムとは切り離して聴きましょう。


とまあ長々書いてきたわけだが、やはり本アルバム、ライダーズディスコグラフィー5本の指に入る傑作という思いが拭えない。

何故不当に評価が低い、というよりあまり触れられもしないのか理解に苦しむ。


音楽スタイルが変化するのは茶飯事だったとはいえ、バンドとしてのスタンスまで変化した最初のアルバムだったからかなあ。

だけどこんな完成度の高いアルバムもそうざらにはなく、確かに重いアルバムではあるが、あの激動の1995年を、80年代のように気分を茶化すことなく、状況から逃げ出さず時代と向き合い、リアルを真摯に追求した功績は賞賛して然るべきだと思うのだ。


実際90年代に、本アルバムをきっかけとしてライダーズファンになった人物を、私は2人知っている(2人かよ!)。

とにかくこのアルバムを受け入れるかそうでないかで、今後のライダーズとの関わり方は大きく違ってくるんじゃないかな。


あと個人的に本アルバムを愛してやまないのは、曲のバランス、更に云えば鈴木慶一歌唱楽曲の配置バランスに拠る。


メンバー全員がヴォーカリストであることはライダーズの特徴であり興味深い部分なのだが、やはり自分にとってのメインヴォーカリストはあくまで鈴木慶一である。

そのことを押し付けない奥ゆかしさが美徳ではあるが、それでもやはり、締めるところは締めて欲しいわけですよ。


本アルバムはインストのプロローグに始まり、コンセプト的に外せないメンバー・武川のVo.で幕を開け、次に満を持して鈴木慶一登場、2曲ほど唄ったあと暫く他メンバーが続き、慶一Vo.が恋しくなった頃不意にサビでシャウトをかまし、また他メンバーにリードを渡したのち、クライマックスに再登場という流れで、配置・配分が絶妙なのだ。


楽曲的にもアップ・ミドル・スローテンポ、名曲・良曲・佳曲・インターバル(笑)と、曲順まで含めたアルバム内バランスがほぼ完璧であるように思う。


隙のないガチガチのコンセプトによる息苦しさも最早快感。

改めてライダーズに一生ついていこうと心に誓う、当時の私でありました。

よもやその完成度がここで終わろうとは露知らず。

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A.O.R.

ムーンライダーズ『A.O.R.』(1992



01.幸せの洪水の前で

02.ダイナマイトとクールガイ(アルバム・ミックス)

03.シリコン・ボーイ (アルバム・ヴァージョン)

04.さよならを手に

05.現代の晩年

06.WOO BABY

07.ONE WAY TO THE HEAVEN

08.レンガの男

09.無職の男のホットドッグ

10.月の爪


A.O.R. 』。

Adult Oriented Rock'n roll』。

Aranged by Okada & Ryomei』。


前作から僅かなスパンで発表された本作。

当時ビギナーファンの私は情報を得る術すら持たず、突然の発売に驚いたことを憶えている。

もっとゆったりしたペースで活動するバンド、という認識があったし。


とりあえず印象としては、「ポップ」。

復活の祝祭も終わり、そろそろ数字出さなきゃという雰囲気だったのかな。

なんせ非情な東芝EMI時代です。


そこで若手バンドのプロデューサー邁進中、それなりのヒットも産んでいた岡田・白井に製作総指揮を一任、アルバムタイトル通りアレンジも全て二人が担当している。

結果、メンバーによってはほとんどレコーディングには参加せず、僅かにコーラスを加えた程度、という人もいたようだ。


高橋幸宏との仕事の影響か、離婚を経験した後ソロアルバム『SUZUKI白書』を製作した余波か、全体の8割方を担う慶一の詞はいつになく「愛」の考察が成されている。


詞先であることは滅多にないらしいライダーズなので、キッカケはM01(白井)M04(岡田)M06(かしぶち)あたりのAOR然とした曲の方であったのかも知れないが、まだ時代のテーマは「自分」ではなく「恋愛」であり、ユーミンが恋愛教祖として君臨していた時代である、結果的に表面上は「世間に迎合した」かのようなアルバムに仕上がってはいる。


といってもアルバムの半分くらいはいつものライダーズノリであったわけだが、やはり「愛の歌」はインパクトが強く、どうしたってファンは違和感を感じるし、そうでない人にとってライダーズの大上段な愛は重過ぎ、反して音はファンからすれば軽すぎた。

要するにどっちつかずであると。


個人的にはそれほど嫌いじゃないんだが。

AORM01M04M06も好きだし、名曲M02、慶一節M05、博文最後のアッパー曲M08も忘れ難い。


が、やはり件の「愛の詞」に抵抗がないでもない。特にM021バース目、読みが浅いのかも知れないが、どうしても恥ずかしいのはオレだけか?


コンセプト上のことだとはいえ、岡田・白井のアレンジも職人的過ぎて心地は良いが情念がない。

ややバランスを欠いてる気がするのも事実で、共に慶一作であるM03M09の「今更ニューウェーヴ」なノリは、台頭してきた渋谷系勢が音楽史の時系列を解体してみせた最中にあって、若干懐古的にも思えた。若輩者ならではの視点ではあるが。


渋谷系勢(なんとかならんかこの呼称)が恋愛と哲学を軽やかに融合させポピュラリティを獲得し、フリッパーズはそこに情念をも刷り込むことに成功(そのぶん寿命は縮めたが)、電気グルーヴやスチャダラパーがメッセージを発しないことこそ美徳としてそれなりの人気を博していたこの御時世、避け難いことではあるが、やはりライダーズには「中年としての暑苦しさ」があったのだ。

しかもサウンドが軽くなっているだけに余計その事実が露呈していた。


この頃ライダーズや高橋幸宏に加え、坂本龍一も珍しく自らのVo.で『SAYONARA』という愛についての歌を発表している。作詞はなんと鈴木慶一だ。

同時期に矢野顕子も『サヨナラ』なる曲を発表しており、なにやら意味深ではある。


かつてのニューウェーヴ世代がこぞって愛を唄い始めたわけだが、この現象にはどういった背景があったのか。


自分らが最早「最先端」でないと自覚した時、浮上してきたテーマが愛だった、というシンクロニシティなのか。

世間ではおカルい愛の歌が氾濫し、それらを駆逐するべく年輪を重ねた重い愛を見せつける、という対抗手段だったのか。


そういや大ヒットしたKANの『愛は勝つ』には彼等もフリッパーズも同様に苦言を呈していたっけ。


とにかく。

単純に若者×中年という構図もあったろうが、渋谷系勢はライダーズ等を迎合しなかったし、世代交代を高らかに宣言する為なのか必要以上に中年ミュージシャンに牙を剥いた。


しかしかつて「30以上を信じるな」と叫んだのは他ならぬライダーズであり、そのメッセージは成就されたともいえる。


しかし音楽史の変遷と共に歩んだライダーズは、若い彼等のようにオールディーズも最新曲も同一線上、無邪気に価値観のサンプリングを楽しんでばかりもいられない。


最早ライダーズのキャッチフレーズである「最先端」という価値観は解体された。あらゆる時代の価値観が解け合う混沌の時代が始まろうとしていた。

だからこそ時代は「独自性」を望みつつあった。


3年の沈黙を経て、ライダーズはより独自性を深化させたディープな旅に出る。

それは時代の必然であったのか。

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最後の晩餐
ムーンライダーズ『最後の晩餐』(1991


01.Who's gonna cry?

02.Who's gonna die first?

03.涙は悲しさだけで、出来てるんじゃない

04.Come sta, Tokyo?

05.犬の帰宅

06.幸せな野獣

07.ガラスの虹

08.プラトーの日々

09. Highland

10.はい!はい!はい!はい!

11.10時間

12.Christ, Who's gonna die and cry ?


以前にも書いた様に、私が初めてライダーズと出会った記念碑的アルバム。

本アルバムよりのファンは「第三世代」にあたるらしい。

ここからはどうしたって個人史とリンクした解説となってしまうことはご了承を。


5年もの活動停止に終止符が打たれたのは岡田徹の発起がキッカケだった。


当時のイカ天などを中心としたバンドブームにプロデューサーとして幾多も参加していた氏だが、ライダーズを知らない若い世代の台頭を肌で痛感し、「バンド」としての存在意義を切望した結果だったという。


しかしライダーズの再集結は鈴木慶一によるソロアルバムが完成してから、という暗黙の了解があり岡田はその時を待っていたわけだが、慶一の手掛けたファミコンゲーム『MOTHER』のサントラが発売されたことによって機は熟したと判断する。


「これはもうソロアルバムに匹敵するクォリティだから、そろそろライダーズを始動させよう」そう岡田に進言された慶一は意を決し、了承を得るため他メンバーを訪ね歩いたのだった。


しかしこれには後日談があり、実は岡田が慶一に打診した時には既に他メンバーのコンセンサスは岡田によって取られており、つまり慶一は予め根回しされたレールの上を歩いていたのだった。

リーダーの面目を保つための優しい嘘、という美談であるが、慶一はその事実に少なからずショックを受けたという。この挿話が明るみになったのは1999年、書籍『20世紀のムーンライダーズ』においてであった。


本アルバムの導入部、岡田の手によるM01にはそんな背景がある。アンディ・パートリッジによる紹介MCも花を添え、ここにライダーズは再始動を果たしたのだった。


そしてアルバムの中枢を担うM02

ハウスを取り入れたライダーズディスコグラフィの中でもトップクラスのアグレッシブなナンバーで、まざまざと健在ぶりを見せつける。


思えばこのナンバーが私とライダーズとの出会いだった。

当時、江口寿史のマンガなどでバンド名だけは知っていたが、ちゃんと曲として聴いたのは北野誠・竹内義和・板井昭浩による関西ローカルラジオ番組『誠のサイキック青年団』にて流されたこの曲だったのだ。

その時の衝撃といったら筆舌に尽くし難く、すぐさまレンタルショップに駆け込んだことは云うまでもない(買えよ)。


リアルな(あまり平和でない)家庭の歌、といった印象の歌詞だが、発売時は湾岸戦争の比喩として聴いていた憶えがある。

「僕は殴られても、殴り返しはしない」の部分など、アメリカを揶揄してるとばかり思っていたし。


今となってはそんな単純な歌じゃないと理解しているが、他曲に目を向けると明らかに湾岸戦争を題材にしたとおぼしき楽曲が散見されるのも事実であるので、あながち間違ってもいないんじゃないかな、と。

M10なんかは今聴くと「あの国」の歌にしか聴こえませんがね。


やはり長い空白期間があったからだろう、全曲かなりのクォリティで無駄がない。云いだしっぺの岡田の曲がやけに少ないのが妙だが、そんなことも気にならない程の充実っぷり。


全体的には世相を反映してか、これまで売りだった「フィクション性」が薄れ、「リアルさ」が強調されていると思う。

といっても家庭を持つ中年男の悲哀を歌ったM05の作者・鈴木慶一は現在に至るも家庭を持っていないわけで、結局はフィクションなんだけどね。

ニュアンスとしてのリアル、という処か。


あと「情けない男」路線もドントラの頃より押し進められている。

M03など、「かっこ悪いことは、かっこいい」的ナルシズムでなく、本気でかっこ悪い。「もし君になれたら今すぐにも 僕を抱きしめてしまうだろう 好きといって」というフレーズはなんて情けないんだ。女から見りゃ最低だろうな。


この辺から慶一のM気質は全開となり、「ビーチもゲレンデも知らない」ダメ男たちを虜にしていきます。そりゃオレか。


そんな中でも私の心をモロに鷲掴みしたのはM11。またしても慶一作。

詞は1バースごとに慶一の歴史を10年ずつ振り返っているわけだが、当時ライダーズ超ビギナーである自分にそんなこと判るはずもなく。

ただその旋律、歌声、構成、アレンジに打ちのめされたのだった。


ああ、世の中にはこんなに自分に合った音楽が存在するのか、という感動。

岩井俊二流に云えば「この世で最も話しの合う人に出会ってしまった」という感じ。

この曲を聴いてようやく今度はレンタルショップでなくCDショップに駆け込んだのでした。


その後の顛末は『アマチュア・アカデミー』の欄に書いた通り。

ちなみにライダーズファンの多くは「初めて聴いたアルバムが最高作」となるらしい。私も例外ではなかった。


ともあれ、「誰が最初に死ぬのか?」という重いテーマはアルバム全体に影を落とし、以降ライダーズはアルバムによって多かれ少なかれ、「死」を表現するヘヴィなバンドへと変容していく。

それは浮かれた80年代が終わったこととも関係しているだろう。


そしてもうひとつの大きな変化が。

彼らが活動休止していた期間に、世を席巻していたイカ天を中心とした糞バンド勢とは全く別の場所で、後に「渋谷系」と呼ばれるムーブメントの萌芽が発生していたことだ。


中でも音楽スタイルから過激な言動に至るまで「世代交代」を体現していたフリッパーズ・ギターはこの年、最終作にして名作『ヘッド博士の世界塔』を発表し、完全に渋谷系ムーブメントを発芽させた。


暴言を承知で断言させて貰えば、ライダーズより若い世代から初めて「脅威」が現れたのだ。

と同時にライダーズはもう「最先端」なモノではなくなっていた。


あまり表面化はしなかったが、緩やかに「世代間闘争」は行われ、溝は深まっていく(実際フリッパーズの面々やピチカートファイブ小西康陽はこの頃ライダーズを揶揄する発言をしている)。


ライダーズが次作で、高橋幸宏らと歩調を揃えAOR化したことが更に事態を深刻にしたが、それについては次作のレビューにて。

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DON'T TRUST OVER THIRTY
ムーンライダーズ『DON'T TRUST OVER THIRTY』(1986


01.CLINIKA

02.9月の海はクラゲの海

03.C調

04.だるい人

05.マニアの受難

06.DON'T TRUST ANYONE OVER 30

07.ボクハナク

08.A FROZEN GIRL, A BOY IN LOVE

09.何だ?この、ユーウツは!!


1986年、ムーンライダーズ10周年にあたるこの年(つーかまだ10周年なんだな。最初の10年のなんと濃密なことよ)、ビデオ作品『DREAM MATERIALIZER』、12インチシングルの名作『夏の日のオーガズム/今すぐ君をぶっとばせ』発表。長時間に渡る総決算的ライブツアー敢行、2枚組ライブ編集版『THE WORST OF MOONRIDERS』とリリース&ライブラッシュが続く。

ちなみにこのレビューではオリジナルアルバム以外は特化して採り上げませんのであしからず。


そんなこんなで肉体も精神もボロボロとなっていたライダーズは、更に10周年の幕引きともいうべきオリジナルアルバムを製作する。

特に鈴木慶一は前作での神経症を引きずっていたが、トランキ系合法ドラッグの服用(現在に至るも常用)によりケミカルハイ状態となり、この困難を乗り切った。


分業体制は更に推し進められ、完全個人製作、唄える人は誰が唄ってもいいということで、博文・武川もそれぞれの作品でヴォーカルをとっている。


有名なエピソードとしてはメンバーにそれぞれ「特技の禁止令」が出たこと。

岡田は「メジャセブン禁止令」、白井は「ポップス禁止令」(また自戒により『リズムキープ禁止令』)、かしぶち「叙情性禁止令」、武川「ヴァイオリン禁止令」、博文「シンガーソングライター(フォーク)禁止令」といった具合(鈴木慶一は不明)。


事前に集められたデモテープがどれもシンガーソングライター的世界に回帰していた為、手癖の創作を回避するよう採用された手法だと思われる。


残りの3曲(M04M06M09)はメンバーの合作で、クレジットされた作曲者「E.D.MORRISON」とは「MOONRIDERS」のアナグラム。

とはいえ、M04はどう聴いても慶一節だし、M06は白井、M09は前半岡田・後半博文によるトラックがベースになっているようだ。


さて個人的な思い入れはともかく、客観的に見て、やはり本作はライダーズ最高傑作という他はない。


なんせ各曲のクォリティが段違い。10周年の締めくくりとして総力戦の様相を呈している。

10周年の感慨はない」と公言しているメンバーにしたって「ここらで一区切り」くらいの意識はあったんじゃないかな。

時代の追い風も特にないこの時期に、これだけのアルバムを創れる理由が他に見当たらないもん。


かしぶち作M01はアルバム開幕に相応しい実験ポップの名作。

インストだが、これは彼が歌入れ直前に入院したためで、タイトルの由来もそこから。

後に発表された『かしぶち哲郎SONG BOOK』なるベストアルバムでヴォーカルヴァージョンが聴ける。必聴。


岡田作M02は云わずと知れたライダーズ史上屈指のド名曲。

佐伯健三改めサエキけんぞうの詞も含めて何から何までもう完璧!言葉もありません。

「ガラスみたいに透明で、フィルムみたいに泳いでる」「ガラスみたいに突き刺して、フィルムみたいに忘れない」と形象されるクラゲとは、ライダーズ自身のことなのか?


白井作M03は過去の作品のヴォーカルを継ぎ接ぎして完成させた完全な前衛実験作。途中の、寺の鐘を鳴らして神拝する音がもうわけわかりません。


合作M04はなんと作詞・蛭子能収。

「できればなんにもしたくない/金さえあればの四十代」による脱力ナンバー。聴いたら全てのヤル気が奪われるすげえ歌です。

バックの早回し女性コーラス(野宮真貴?)にも注目。


慶一作M05もまたアヴァンポップの名作。

所謂オタクの悲しみと悦楽を唄った歌だが、「ポケットにも入れられない、戦争になっても持って逃げれないモノが好き」なんてフレーズが痛快。

鈴木慶一自身がオタク的素養のある人なので、自嘲の歌であることもポイント。しかしこの曲のアレンジは凄まじいの一言だ。


合作M06

アルバムタイトルにもなっている(微妙に異なるが)「30以上を信じるな」という言葉。

「既成の権威を信じるな」とも云い換えられるが、重要なのはメンバー全員が30を越えていること。


「少年の心」でもって、若者と同じ目線で大人に異を唱える青臭い青春パンクとはわけが違う。

なんせ「オレ達を信じるな」ということなのだ。安易な反骨ソングじゃもう報われやしない。これは最早「権威」となってしまったライダーズからの挑戦状でもある。


博文の詞は嫁や子供、愛人を捨てて独りで生きようとするアンニュイな中年男の心情が綴られており、ある意味M04のシリアス版。いや凄いクォリティです。

曲・アレンジ共に最高水準。所々掻き鳴らされる轟音ギターとエンディングの変態的慶一シャウトも印象的。

そう、この歌がキレイに終わっちゃダメだよね。


博文作M07はこれまた名作。

一聴、禁止令の出たシンガーソングライター的だが、サウンドには様々な音色が施してあり、なんとか回避しようとした形跡がある。

つーかフォークテイストはこの人の持ち味だし、こんだけ名曲ならもういいじゃん!

ちなみにM05M07は貞本義行による『新世紀エヴァンゲリオン』コミック版サブタイトルにも引用されている。


武川作M08、彼らしい素直でストレートな恋の世界。

どこか神経症の躁鬱が影を落とした楽曲群にあって、一服の清涼剤。

作家然としたメンバーの中にあって、唯一プレイヤー的立場の武川だからこそこんな曲が出来るのでしょう。

でもこの凝ったサウンドメイキングも彼自身なのかなあ。


ラスト、合作M09

多分に慶一の神経症が題材にされた、例によって名曲。

後半のヘヴィメタのような演奏に乗せて、「君の心に佇む友達、ピーター、ケイト、&ガープ」と唄われるが(後半のvoDe-LAXLOOPUSの宙也)、ピーターは「ピーター・ガブリエル」、ケイトは「ケイト・ブッシュ」、ガープは「ガープの世界」。

共に病んだ鈴木慶一の心の支えとなった人物、諸作品の名称だ。


本来こんなウェットな事実をストレートに歌詞に組み込む人ではないわけで、彼の鬱が相当深刻であったことが窺える。

その後この曲をライブで演らなくなったのは当時のことを思い出したくないからだというし、結局彼の心の救剤は果たされなかったのだろうか。

それでも、天使のような女性コーラスで唄われるこの言葉を信じるしかないだろう。


Dear My Friend その手を、掴んでいてあげる」


ということでまあ、あきれるほどの名作になっております。

アルバムは「何だ  こんなユーウツは、いつまで続くんだろう/ガラス瓶の中に、閉じ込められて」というフレーズで幕を閉じるが、やはりメンバーもひとつの到達点に達したと思ったのだろう、ライダーズの歴史はその後5年間に及び、ガラス瓶の中に封印される。


そして5年後、私はライダーズとようやく邂逅を果たすのだ。

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ANIMAL INDEX
ここからは、したためていた未発表のライダーズレビュー。

Bizarre Music For You』(1996)まで、と志半ばなんですが、今出しとかないと一生出さない気もするので、ここに掲載します。




ムーンライダーズ『ANIMAL INDEX』(1985)※



01.悲しいしらせ

02.犬にインタビュー

03.ウルフはウルフ

04.羊のトライアングル

05.さなぎ

06.Acid Moonlight

07.HEAVY FLIGHT

08.夢が見れる機械が欲しい

09.Frou Frou

10.駅は今、朝の中

11.僕は走って灰になる

12.歩いて、車で、スプートニクで


個人の時代へ。

アルバム冒頭のフレーズは、「つまづいて、大切なバラの茎折った」。

云うまでもなくバラは『マニエラ』においてバンドの象徴であった。

そう、最早談合の時代は終わったのだ。


この頃になるとメンバーそれぞれがプロデューサー、作詞・作曲家としていっぱしの立場となっており、前作の外部プロデューサー導入で生じた摩擦への反動もあり、今作はメンバーが各2曲ずつ個人で責任を担う製作スタイルが採られた。

この方法論は以後も断続的に採用され、善し悪しはともかく結果的にバンドの延命に著しく貢献することとなった。


といってもまだこの手法は試作段階であったので、いきなり各メンバーにまる投げするわけにもいかず、全体を俯瞰する立場として鈴木慶一がプロデューサー的役割を果たし全てのレコーディングに付き合うことになる。


しかし熟練したメンバーに今更口出すことなどなく、「ただそこに居るだけ」という状態は鈴木慶一の精神を蝕んでいく。

それも端から見れば極めて地味な、コンピューターを介してのレコーデイングが多勢を占めている頃のライダーズであることが拍車を掛けた。


テクノの無機質なビートの反復はしばしばドラッグ効果を指摘されるが、作業をしているメンバーは対コンピューターとはいえ「製作」という葛藤や快感も得られる。

一方傍観者はあくまで感情の起伏はない。テクノストレスによるバッド・トリップ、プロデューサーとしての重圧、加えて自身の存在意義への懐疑も重なり、かくて鈴木慶一は壊れゆく。


時おりしもサイバーパンクムーブメント(映画『AKIRA』の公開は翌年だ)。

多くのサイバーパンク作品がそうであるように、事象としての喧噪・荒廃・ノイズ・そして破壊衝動は、無機質な機械・デジタルを介してやがて人間の内部へと到達し、精神を蝕み、自分自身を破壊する。

測ってか測らずか、鈴木慶一はサイバーパンクを身を以て体現するわけだ。

発症時、フィリップ・K・ディックを読んでいたというから偶然ではないだろう。


そもそもコンセプトと云えるキーワードはアルバムタイトルが示すとおり「動物」のみ。

鈴木慶一が「非人間的視点」に関心があったことから端を発するようだが、これはニューウェーブ以降の「肉体」より「脳」を触媒とした音楽の探求(ニューアカの時代ですしね)による知的水準の更なる高みを望んだ結果か。

もしくは「人間への諦観」も含まれているかも知れない。誇大化した脳の落とし所が「動物」だったと。こんなことばっか考えてたらそりゃ壊れますよあなた。


その体験はやがてM08の詞へ結実する。

ほとんど自動筆記で書かれたという『夢が見れる機械が欲しい』。

ここに「夢」という単語から連想されるポジティプなイメージはなく、「昨日見た夢を再生する機械があれば、その日は夢の「検証」に費やされ、次の日はその繰り返し。人は生活を放棄する」という思想に基づく常軌を逸した閉塞感が綴られた名リリックである。


個人製作体制が採られた本作だが、音に関しても不思議なことにほぼ全楽曲にわたってイメージは統一されており、常にひとけのない暗闇の閉塞感がまとわりつく。

ビートの激しいM02M03M09にしたって同様だ。鈴木慶一の「気分」はバンドにとって如何に重要なファクターであるかが窺い知れる。


他メンバーの楽曲も完成度高し。

ハードな疾走感と閉塞感を併せ持った白井作「犬ソング」の代表曲M02

またM07のアシッド感覚溢れる激しいドラミングが素晴らしく、佐伯健三の耽美的な詞も忘れ難い。


鈴木博文の詞は鈴木慶一と違ったアプローチが成されて一方のアルバムイメージを支配しており、大上段な「動物」アナロジーでなく、M10「僕の首には、君の犬歯がうずいてるから、襟たてて」と、粋にさり気なく唄われる。


かと思えば一転して、武川の最高傑作M11(詞は博文)での「君は駆けても豚だけど、僕は走って灰になる」という強烈なフレーズが印象深い。

しかし唐突に登場する「君の妹いまはもう、野原の中を駆けている」ってのはなんなんだろな。なんで「妹」なんだ?


混線したアンテナが奏でるような前述の岡田作M08も凄いが、かしぶち作のアルバム中唯一ド派手でファンキーなM09(いや歌が始まるとそうでもないんですが)の浮きっぷりがまた凄く、こんだけ浮いてると逆にハマッてしまうから不思議だ。名曲。


余談だが、M01、動物ワードが一切出てこないこの曲は、当時水死した「たこ八郎」に捧げられたってのが通説で、鈴木慶一自身そうコメントしてるわけだが、個人的にどうしてもドラマ『傷だらけの天使』最終回を彷彿とさせられる。

アキラ(水谷豊)視線の修(萩原健一)への逆鎮魂歌。

まあ妄想であるのは判っているのだが、この曲聴いたのが丁度『傷天』最終回観て衝撃受けた頃だったんでどうしても。

「動物」と関係ないじゃないかと云われそうだが、アキラは劇中よく「アルマジロ」と揶揄されてたし・・・。なんて妄想が過ぎますね、すみません。


「記憶のすべて置いていけるか、来たるべき怪物に」「記録のすべて白紙にするか、去り行く知性」。

M12で鈴木慶一はライダーズの記憶・記録を来たるべき次世代に向けて「置いていけるか、白紙にするか」と自問している。


バンドブーム前夜の世代交代を予感し、無邪気に談合して音楽を創っていた時代も終わり、早くもバンドを「総括」しようという試みが垣間見える。


「第一章 幕」となる次作が創られるのは必然であったろう。

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AMATEUR ACADEMY
ムーンライダーズ『AMATEUR ACADEMY』(1984


01.Y.B.J.YOUNG BLOOD JACK

02.3030 AGE

03.G.o.a.P.(急いでピクニックに行こう)

04.BTOF(森へ帰ろう〜絶頂のコツ)

05.SEX(個人調査)

06.M.I.J.

07.NO.OH

08.D/P(ダム/パール)

09.BLDG(ジャックはビルを見つめて)

10.B.B.L.B.(ベイビー・ボーイ、レディ・ボーイ)


個人的な話から始めよう。


私がライダーズを初めて聴いたのは91年、その時点での最新作『最後の晩餐』だった。

すぐさま他のアルバムも聴いてみたくなった私は当時貧乏な高校生、駆け込んだのはレコードショップでなくレンタルショップだった。

愛すべき糞母校の近くにあった「OYAYUBI PIANO」、当節はお世話になりました。主にAVでだが。今でもあるんかなあ。


しかしまあライダーズがコンプリートされたレンタルショップがそんじょそこらにある筈もなく、当店に置いてあったのは『青空百景』『アマチュア・アカデミー』のみ。

後は確かクラウン時代のベストだっけか(ちなみにこの店にはビデオ作品『DREAM MATERIALIZER』も置いてあった)。

そんでとりあえず『アマチュア・アカデミー』を借りてみた私は、アルバムを聴き終わる頃一生ライダーズについていく決心をするのだった。


前置きが長くなってしまったが、本アルバムは私にとってライダーズによるセカンドインパクトだったというわけだ。

なのに本アルバムはライダーズ史においてさほど重要でない不当な位置に存在しているように思う。


理由もある程度推察できる。ニューウェーブも沈静化し、時代の確たる要請も信念もない時期に出たアルバムだからだろう。

つまり、「ただの物凄く出来の良いアルバム」だからだ。

鈴木慶一自身、ニューウェーブ以降のアルバムは目指すべき到達点が見失い、「これくらいかな」と、手探り状態でアルバムのクォリティを設定していたと後に語っている。


『青空百景』にて「青空のもとでヘラヘラ笑う」というある種の到達点に辿り着いた彼らは、そこで歩みを止めるわけにはいかず、指針なき旅を進める決断をしたのだった。

その選択には賛否両論あるだろうが、とにかくそういうことなのだ。


それでも本作は90年代に入ってから、ファンによる所謂「好きなアルバム」ランキングで見事1位に輝いていた記憶があるし、要するに「時代の産物」としてうまく言及しづらいが為に、あくまで評論家のような人種にとって語りにくいアルバム、ということで小難しい理屈など関係ない一介のファンからすれば、普通にクォリティの高い楽曲を余すことなく詰め込んだ捨て曲なしの素晴らしいアルバム、ということになる。


それはライダーズ史上はじめて外部プロデューサー・宮田茂樹氏を起用したことが勝因なんだろうか。その辺りはよく判らない(結局最後はメンバーと喧嘩状態だったというし)。

ただ氏の「捻った曲を書きたかったら、最初から捻るな。まずストレートな曲を書き、それから捻れ」という明確な指示は作品に少なからずの影響を及ぼしている筈だ。


ライダーズはいつも、そのシャイな気質ゆえ「ここぞ!」という部分こそ音やノイズで隠してしまう傾向があったが、ここにある楽曲群は確かにこれ迄のような捻ったアプローチは少なく、要するにストレート。アレンジも比較的スッキリ、聴かせどころもハッキリ聴こえます。


音数が少ないという意味でなく(むしろ多いと思う)、音が「整理」されている感がある。しかも白井良明が中心となって進められた編曲は鉄のような肌触りの硬質な音が多く、それがまた整理感に貢献している(ちなみに当初はアレンジャーとして売り出し中だった白井が全楽曲アレンジを手掛ける予定だったが、『売れる音』を望む宮田氏と『斬新な音』を望むメンバーとの間で板挟みとなり、結局は途中からメンバーもアレンジに加担したとのこと)。


鉄質な音が多いのは当時のサイバーパンクムーブメントに関係してるのかな?M01なんてモロだもんね。今聴くと若干古さは否めないですが。


あとよく云われるのはライダーズにしてはブラック・ミュージックに接近してるってこと。

M02M09M10のゴスペルやドゥワップ、M06のヒップホップ、M07のファンクネスなど。

そういやM07のイントロってMCハマーの大ヒット曲『U Can't Touch This』(1990年)にソックリだと思いません?ただの偶然だろうけど。いや、サンプリングネタであるリック・ジェームスが関係してるのかな。疎いのでよく知りませんが。


特筆すべきはやっぱM03だろうな。

岡田によるボサテイストな曲・編曲も凄いが鈴木慶一の詞が更に凄い。

38歳の男が19歳の女の子と自堕落なHしながら(←直接的表現はありませんが)「堕落したいや〜」「自滅したいや〜」「森や海でした〜い」とか云ってるだけですからね。とんでもないですよ。「僕らの夢、腐りやすくて」とか、この頃から「夢」ってものをあまりポジティブに捉えてませんな。


かと思えば「君」との出会いにより精神解放され、俯瞰的観点を手に入れる男を描いたM04の清々しさも見逃せない。後半の不意にコーラスが現れる部分はいつ聴いても鳥肌立ちます。まさにピーク・エクスペリエンス。

しかし副題の『絶頂のコツ』ってなんなんだろなしかし。


耽美の極致、M05は当然かしぶち作。

タイトルからしてまんまだが、非常にいやらしい。このアレンジをつけた白井良明もきっといやらしい。普通の発想じゃないもんね。逆説的だが、ドロドロした汚らしいモノだけがエロチシズムではないってことですよ。


一転してM08のアコーステイックな清涼感溢れる世界観も素晴らしい。つーかこのアルバム、白井はもとより博文・かしぶち大活躍だな。アートポート(3人によるユニット)結成もこの頃だっけ。脂乗ってたんだなあ。


そして「ジャック三部作」もM09でおしまい。

ジャックはビルから飛び降りました。

M10で何故か年齢的倒錯や性的倒錯が唄われ、「幸せ」についての思考停止気味な結論が導かれアルバムは終わる。この詞がもう少しストレートな哲学的大作だったら、アルバムの評価も違ったのかも知れないな。


全体的にポップでありながら重厚、しかしちゃんと重たい空気の「抜け」も用意されており、無駄がなく選びに選び抜かれた音が適所に配置されている。ライダーズ史上最も長い録音時間であったことも頷ける。


とにかく「こだわり」が非常に良い意味で明解に伝わってくるアルバム。

個人的には本作こそビギナーにお奨めしたい。

この「こだわり」がしんどい人には、ファンの素養ありません。


そういや自分が30歳になる日の4分前、M02を聴いたもんです。

これ実は初めて聴いた高校生の頃から企んでいたのでした。

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青空百景
ムーンライダーズ『青空百景』 1982


01.僕はスーパーフライ

02.青空のマリー

03.霧の10m

04.真夜中の玉子

05.トンピクレンッ子

06.二十世紀鋼鉄の男

07.アケガラス

08.O.K.パ・ド・ドゥ

09.物は壊れる、人は死ぬ 三つ数えて、眼をつぶれ

10.くれない埠頭


「マニア・マニエラ」発売中止決定から1週間以内に製作が開始されたという「青空百景」。

コンピューター導入によって上がりまくったモチベーションの前には、もう一枚アルバムを完成させることなど造作もなかったそうな。


前作とはうって変わり、(ライダーズにしては)ストレートなポップ路線。

かつてのインテリジェンスな要素も陰を潜め、音像もすっきりした非常に判り易い楽曲群が並ぶ。


云い代えれば「つくり込まなかった」ということにもなるが、その一因には制作費や製作期間の制約という問題もあったそうだ。

その為メンバーはプリプロに鈴木兄弟の実家をプライベートスタジオとして使用。「湾岸スタジオ」の誕生である。


「破壊」〜「闘争」とコマを進めた彼らが行き着いた場所は「青空」だった。澄みきった青空の下でヘラヘラ笑うことが、当時の彼らにとって最も過激な行為だったという。


パンク・ニューウェーブ路線をひた走り、自分たちの音楽を解体し尽くした後は、当然ながら「再構築」しなければならない。

そしたら意外なことに真っ当なポップスだったというわけだ。

ビートルズやストーンズといった、これまでの彼らなら捻くれて口にもしなかったような大御所バンドからの引用が多いのも特徴。素直になったっつーことですかな。

実際鈴木慶一などは若い頃、ビートルズ好きであることは恥ずかしくて周りには頑なに隠していたそうで。


ただ誤解されると困るのは、そこはやはりライダーズのこと、表層的なポップさとは裏腹に背中にはしっかり暗黒面が貼り付いており、よくよく聴けば実に奇怪なアレンジが施されていたりもする。


詞に至っては更に顕著で、はっきり云って理解不能なものも多い。

ラブソング風な曲も多いが、共通しているのは「内気な男のドス黒い妄想」という点であり、一聴アッパー調に恋の訪れを歓喜する男の歌であるM05にしても、その舞台が「風呂場」であることが既におかしいし、あげく感極まって風呂場で「倒立」したりと、なんとも行動が奇怪だ。

なにより、歓喜の理由が「好きな娘の足に触れた」からとしか記述されておらず、これでは恋人同士なのか只の痴漢行為(極端ですが)なのかも判らない。


M02もマリーという名の彼女(?)との恋模様が嬉々として語られたと思いきや、一度電話が繋がらなかっただけで人生終わってしまったかのように嘆き続けるエンディングが用意されており、冷静に考えればちょっと怖い。


とはいえ、すぐにアヴァンギャルド性や暗黒面を主張したがるのもライダーズファンの悪い癖で、このアルバムではそういう要素を背後に感じつつも素直に表層的なポップ面に身を委ねるべきだろう。心配しなくてもM09でしっかり落としてくれます。


んで、ここに来て突然変異するのが白井良明だ。

前作までのオマケ的扱いは一体なんだったの?てなほどに、本アルバムの中心的存在にまで昇格している。


いや曲数自体はM02M05のみだが、この2曲がアルバム全体のカラーを支配しているといっても過言ではない。

この驚異的な変化についてはあまり語られたことがないように思うので明確な理由は判らないが、とにかくこれ以降、彼はライダーズの重要なソングライターであり続けることになる。


ちなみにサエキけんぞう(この頃はまだ佐伯健三かな)が書いたM02の歌詞はメンバーによって大幅に書き換えられ、残った言葉は「マリー」「BLUE」といった僅かな単語のみだったそうな。ご愁傷様であります。


他にはストーカーのような世界観のM01、アヴァンポップM04、かしぶち作とは思えないほど(失礼)キャッチーでキュートなナンバーM06など、佳曲がズラッと並ぶ。


そしてなんといってもM09。能天気な青空のような楽曲群の中で突然ポッカリ開いたブラックホールのようなナンバー。

とらえどころのない岡田徹の前衛的旋律に、地獄のような慶一詞。

岡田をして「現代詩を超えている」と云わしめた絶品です(しょっちゅう云ってるような気もするが)。


実は「カメラ=万年筆」収録の『大人は判ってくれない』の中にある「歌えない 言葉が思いつかなくて」という歌詞通り、「青空百景」までの3年近く鈴木慶一は詞をほとんど書けなくなっていたそうだが、このM09で自分の暗部を真摯に見つめるリアルな詞に開眼し、新たな局面を向かえたように思う。


そして語るまでもない代表曲、博文作のM10で夏の終わりが静かに告げられアルバムは幕を下ろす。

それは同時にニューウェーブの終わりをも告げていたのだった。

| scmm | music | 13:10 | comments(0) | trackbacks(0) | | ログピに投稿する
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